(Source: mascotboy)
87 名前:名無しさん@12周年:2012/01/25(水) 07:10:35.11 ID:ACKY8b650
政府「これからあなたに1万円あげます」
ボク「はい」
政府「そこで、その財源として20万円いただきたい」
ボク「えっ」
政府「えっ」
とにもかくにも日本のマスコミで声が大きい人たちは、極論が大好きです。と言うか、真剣に考えていないので、極論以外では語れないのだと思うわけですが。
「平成の開国だ! 反対? 保護貿易主義者が!」
「日本国債はデフォルト!」
「円暴落!」
「日本はハイパーインフレーションになります!」
「官僚制度は抜本的な改革が必要です」
などなど、「正解」があるとしたら、必ず極論と極論の間のどこかにあるはずで、それを模索しながらメンテナンスしていくという考え方が正しいと思うわけですが、
「そんな面倒なことやっていられるかよ! 大体、真面目に問題解決策考えるとかも面倒くさいし。抜本的に改革すれば、今よりはマシになるんじゃねえの?」
といった安易な考えに流された評論家たちが少なくなく、テレビや新聞には極論ばかりが踊るという話なのではないかと。
とはいえ、上記のように「極論ばかり・・・」という状況は、実は今も昔も変わらないようで。
孔子の論語に『中庸』という言葉があります。
『中庸の徳たるや、それ至れるかな』
というやつでございます。孔子のいう『中』とは量的に過不足なく、右でも左でもないことであり、『庸』は平常という意味を持ります。すなわち極端な右や極端な左ではない平常こそが『徳』であるという概念になるわけです。
ちなみに、ギリシャの哲学者アリストテレスも、徳は右でも左でもなく中間にあるとして、メソーテス(中間にある、という意味)という言葉を残しています。孔子とアリストテレスという古代の二大哲学者が、『徳は中間にあり』という言葉を残しているのは、実に象徴的ですね。すなわち、二千年の昔から「極論」を叫び、解決策をきちんと考えない人たちがいたという話です。
中庸|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba (via itokonnyaku)
損して得取れという言葉もあるのですよー
(via petapeta)
英語には日本語ほど丁寧さの程度による変化がないから,日本語ほど敬語などに気を遣わなくても良いことが多い。ただし,依頼表現だけは日本語と同じ,または日本語以上に複雑で,注意しなければならないところである。私は1983年に来日して以来,日本語がわからない外国人が日本人の意図を誤解して怒ったところを何回も見たことがある。その誤解の理由はいろいろあるが,最も多いのは,外国人が日本人に英語で何かを頼まれて,その依頼表現を失礼だと感じていたことである。その日本人達は丁寧に話すつもりであったのであろうが,“Will you ~”など,ぶっきらぼうに聞こえる表現を使ってしまっていたのである。
たとえば,外国の研究者に論文のプレプリントを頼むときに,どういう表現が使えるだろう。その研究者と面識があるかないか,あるとしたらどのくらい親しいかによるので,一概にはいえないが,次のように「ひじょうに親しい友達」から「まったく知らない人」まで,いくつかのパターンがある。
最後の表現は,いろいろなフォーマルな場面で使えるから覚えておこう。でも,それよりもさらに丁寧に依頼する方法がある。それは相手にとってできるだけ断りやすいようにするのである。“I was wondering if you could ~”などで頼んでも,相手にとってはそれが無理または面倒である場合,“I’m sorry, but I can’t.”のように返事しなければならない。だれにとっても人の依頼を断るのは愉快なことではないので,「したくない」「できない」のような返事を出さなくても良いように依頼するのがベストなのである。
シチュエーションによって文型が変わるので,この間接的な依頼方法を例から見てみよう。まず,プレプリントを送ってほしいときには次の表現が使える。
これを断る必要があれば,“I’m sorry, but no preprints are available.”で済む。“be available”は少し曖昧な表現なので,だれの責任で手に入らないかは不明である。その曖昧さのおかげで,相手にとっては断りやすい依頼になる。